徒然なる徒然

出版社員が語る読書その他カルチャー

【書評】『「自分らしさ」と日本語』(中村桃子)|アイデンティティと自分らしさの表現

『「自分らしさ」と日本語』書影

『「自分らしさ」と日本語』(C)中村桃子

あまり最近は聞かなくなったような気がしますが、小中学生の女子が自分のことを「うち」という問題。(私の小学校では男子も一部使っていた)

「うち」ってなんやねん!っていう疑問がようやく解けました。

答えは『「自分らしさ」と日本語』を読んだら分かりました。書評という形で答えを書いていきたいと思います。

 

 

 

小中学生女子が使う「うち」ってそもそも何なのか考えてみた

そもそも「うち」って何なのかなって考えていて、

「内」説ー以下のようになるため、自分の内部を指すことで自分という一人称を指すのでは。

1.物の、包み込まれた中がわ。
 
2.特定のものの内部。「―側」「参加者十名、―三名は子供」。特に、心の中。
 
(コトバンクより引用)
 
「中」説ー以下のようになるため、上と同じようなニュアンスで自分自身を指すのでは。 

物のまんなか。 中央。 また、二つのもののあいだ。
(コトバンクより引用)

 

「家」説ー以下のようになるため、○○家という自分自身の家を代表することで自分自身に置き換えるという高等テクニックなのでは。

①に住んでいる人々。家族。家人。また、自分を含めた一家。家庭。
(コトバンクより引用)

 

とまぁ、これまではそのように考えていたわけです(笑)

 で、実際どうなのよというのは書評で書いてあります。

 

書評

日本語特有の自称詞

 英語では自分のことは「Ⅰ」「my」「ME」「MINE」で表すことができ、あえて「ジョニーが~」とか「ジョニーは~」とか自分を名前で表したりはあまりしないのではないでしょうか。

日本語となると、「私」「僕」「俺」「自分」「うち」「太郎」など様々なニュアンスで表すことができます。「太郎」と書いたのは幼少期に自分自身のことを名前で呼んだりするケースがあるからです。

アイデンティティと自称詞

なぜそのように多岐にわたるのかというと、これが自分にはしっくりくるというアイデンティティが関係しているそうです。自分は「俺」っていうようなタイプじゃないから「僕」にしとこうとか、「私」って感じじゃないから「うち」にしとこうとかそんな感じで決めているのだそうです。

確かに自分自身のことを表現するときに相手によって「俺」から「私」に変えたり、子供の頃に強そうだから「俺」にしてみたりとその時々で自己認知と共に変わっていった気がします。

小中学生女子の「うち」問題

「うち」問題に立ち返ると、子供の頃に「○○ちゃん」と自分のことを言っていた子が、「私」というにはまだ早いなと思った子たちが「うち」とかいう風に表現するそうです。ちなみに「うち」というのは関西方面の自称詞らしいです。

そのほかにも、歴史的な変化や社会との関係性をもとに方言・敬語・苗字など様々な日本語とアイデンティティの繋がりについて書いてあります。

 

 内容紹介

ことばには内容を表現するだけではなく、“その人らしさ”を表現し、話している人同士の関係を作り上げる働きがある。ことばの背後にある社会の規範や価値観を解きあかす社会言語学の知見から、「名前」「呼称」「敬語」「方言」「女ことば」といった観点を通して、ことばで「自分」を表現するとはどういうことかを考える。

 

 

↓Twitterでは読書・映画などについてつぶやいたりしています↓

ぜひお友達になって下さい!!

twitter.com